目覚めよ!1億2千万の羊たち!!
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#30 プロジェクト・モナーク
 DIA(米国防情報局)は、性的虐待を受けて多重人格障害になった子供を捜していた。
 世代間に渡る児童虐待の歴史のある家庭の子供を使った遺伝的マインドコントロールの研究が目的だった。
 作戦名称は「プロジェクト・モナーク」といって、MKウルトラから派生したものだった。

 幼い頃からマインドコントロールされていたある女性が、アメリカ政府の奴隷状態から脱出して、1年以上に及ぶ長く辛いプログラミング解除治療を耐え抜き、心の中の区画を打ち壊して、自分に起こったことを思い出すことが出来た。

 そして自身の体験を綴った 「恍惚のうちに作り変えられるアメリカ」 という本を自費出版した。
 MPD(多重人格障害)の人間が持つ、写真に撮ったような鮮やかな記憶のおかげで、彼女は耳にした会話の詳細や、ホワイトハウスやペンタゴンや全米の極秘軍事施設の部屋の内装の様子、さらには,関わった人物の裸を見たのでなければ知り得ないような身体的特徴まで書いている。

 彼女はキャスリーン(キャシー)・アン・オブライエンという名前で、1957年生まれ。
 父親は小児性愛者で、キャシーの最初の記憶は、父のペニスを口に入れられて息が出来なかったことだったという。
 キャシーの父は、幼いキャシーとボクサー犬がセックスをしている児童ポルノを郵送したことで逮捕されたが、起訴を逃れるのと引き換えに、キャシーは父の手でアメリカ政府及びDIAに引き渡された。

 後にキャシーはローマカトリックの学校、マスキーゴン・カトリック・セントラル・ハイスクールへ送られるが、ここでヴェスビットという神父に度々強姦された。 一度は神父の個人用礼拝室の中で、マインドコントロールされた他の少年や少女も交えた悪魔教儀式の最中だったという。
 
その後キャシーは、民主党の上院議員ロバート・C・バード(ウエストヴァージニア州選出)の支配下に置かれた。
 キャシーによると,バードはマインドコントロールされた奴隷達のネットワークを支配していて、冷酷なムチ打ちが何より好きで、彼女らを死ぬ寸前まで痛めつけていたという。 またバードはコカイン中毒で、仲間内には、自分は大統領ジミー・カーターをマインドコントロールしている、とよく自慢していたらしい。
 
 キャシーは、ジャック・グリーン率いるカントリーミュージック・グループのメンバーだったウエイン・コックスと無理やり「結婚」させられた。 コックスの仕事は、キャシーにさらにトラウマを与えて心の区画を増やし、新しい「人格」をプログラム出来るようにすることだった。

 「コンタクト」 紙のインタビューでキャシーは、「私の最初のコントローラーに指名されたコックスは、1978年には積極的に儀式を行うようになっていた。 ホームレスや、子供や、”いなくなっても誰も悲しまない”人達をバラバラにして、死体の各部は、ルイジアナ州チャタムにある本拠地から、あちこちの州にある悪魔教の拠点へと送っていた。・・・(後略)」 と述べた。
 
 キャシーはコックスとの間に娘のケリーをもうけるが、ケリーもすぐに、母親同様扱われ出した。 例えば、アラバマ州ハンツヴィルのNASA宇宙ロケットセンターでは、キャシーと娘のケリーも一緒に、ポルノフィルムに使われたという。

 様々な宗教は、常に大衆操作に利用されていて、拷問やマインドコントロールの隠れ蓑になっている。 キャシーがマインドコントロールのプログラミングを受けたセンターの一つは、ユタ州ソルトレイクシティ、そう、モルモン教会の本拠地にあった。
 他にマインドコントロールの奴隷施設としては、オハイオ州ヤングズタウンのチャーム・スクール(アメリカの「花嫁学校」)がある。 ここは「セックス奴隷」の学校で、キャシーは、娘のケリーやその他の女性、子供と共に拷問され、電気ショックによる虐待を受け、睡眠も許されず、性的トラウマを負わされたと語っている。
 
 それから何年か後に,CIA工作員アレックス・ヒューストンと「結婚」した時には、妊娠させられたうえに何度も人口中絶され、その胎児が悪魔教儀式に使われたという。
 ヒューストンは芸人でもあり、キャシーはアメリカのカントリーミュージック産業、さらに言えばエンターテイメント産業全体の真実がわかった。 

 カントリーミュージックは、アメリカ政府機関に利用されていて、アメリカ社会に大量の麻薬を流し、かつマインドコントロール計画を隠すためのものなのだ、と。
 カントリーミュージック界のスターとされるボックスカー・ウィリー(「フリーダム・トレイン」というグループのリーダー)は,マインドコントロールされた女性や子供をレイプする小児性愛者であり、政府機関が動かすコカインの流通にも深く関わっているという。

 「フリーダム・トレイン」 とは、国際的に通用する暗号名で、プロジェクト・モナークの奴隷活動のことだという。

 次回はさらに、誰もが知っている著名人達が登場することになる・・・
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#29   デッド・アイ
 MKウルトラにも見られるマインドコントロール計画の基礎は、「精神的外傷(トラウマ)を基礎とするマインドコントロール」 と呼ばれる技術だという。

 人の心には防御機構があって、極端なトラウマは切り離して閉じ込めようとする。 心が忘却のバリアを恐ろしい体験の周囲に張り巡らせて、その記憶を追体験しなくてすむようにしているわけだ。

 拷問や性的虐待を加えたり、他者が生贄になったり拷問されたりするのを見せることで系統的にトラウマを与えれば、心はバラバラになり、蜂の巣のような一つ一つが隔離された区画の集まりになる、という。

 心の統一を一度壊してしまえば、多様な区画は他の区画の存在を知覚しないので、様々な課題や経験のために個別にプログラムすることが出来るという。
 心の中の、それ自身で自足した一つの区画がその人物の意識段階となり、次にはそれが潜在意識へと戻されて、別の区画が呼び出される。
 つまりプログラムされた人が課題を遂行しても、済んでしまえば自分が何をしたのか、誰がいたのかを忘れてしまうということだ。

 別々にされたそれぞれの人格は一つの言葉、文章、音、行動でスイッチが入る。 
 心のそれぞれの区画は別の区画と関連がない。 今、ある一つの人格を演じていても、スイッチとなる言葉や行動によって、次の瞬間には別の人格が出現するのだ。
 これを多重人格障害(MPD)、あるいは解離性自己同一性障害(DID)と呼ぶ。
 
 イギリスでは、心理学者や社会福祉職員や警察が、多重人格障害についての知識をタヴィストック研究所から集めているという。 タヴィストックは、自分達はこの問題の治療についての権威だと言っているが、その一方では秘密のうちに人々をプログラムするのにこれを使っているのである。

 プログラムされた人間は、普段はそれぞれの地域でごく普通に生活させておいて、機会があれば利用される。
 彼らは「デッド・アイ」 と呼ばれていて、自分がそういう風に利用されているなどとは全く思ってもいない。
 
 オーストラリアのタスマニアにある小さな町ポートアーサーで1996年4月28日、マーティン・ブライアントという男が「発狂」し、銃で35人を殺した。 彼は2週間のアメリカ滞在から帰ったばかりの時に事件を起こしたが、親しい者の話ではアメリカから帰って来て人が変わったということだ。 
 
 実はブライアントは、1983年から84年にかけて、タヴィストック研究所のエリック・カニンガム・ダックス博士の「検査」を受け、将来の「治療」が決定されていたという。
 ブライアントは、アメリカで頻発している銃乱射事件に関与した多くの者と同様、「プロザック」を服用していた。
 
 マインドコントロールされたロボット人間は、通常のチャンネル外での人間同士で意思を伝えるのにも利用されている。 これには、世界の指導者同士の非公式連絡や、非合法な麻薬ネットワーク間での連絡も含まれる。
 この麻薬ネットワークには、アメリカの歴代大統領や、世界各国の指導者とその関係者も関わっているという。

 また、マインドコントロールされたロボットは、幼い子供も含めて、大統領、政治家、外国の指導者、営利企業者達などのために性的奴隷としても利用される。
 彼らエリートの「危険な遊戯」のために・・・
#28  VOICES INSIDE MY HEAD
 「彼が私の脇を通り過ぎた時、頭の中で”やるんだ、やるんだ、やるんだ” と言う声が何回も何回も聞こえてきた。
 ”やるんだ、やるんだ、やるんだ” とね」

 1980年12月8日にジョン・レノンを射殺し,投獄されて数年後、BBCのドキュメンタリー番組に登場したマーク・D・チャップマンは、異様なほど落ち着き払って当時を振り返った。
 
 「狙いを定めたのかどうかは記憶にない。きっとそうしたんだろう。(中略) ただ、引き金をしっかりと5回引いただけだ」

 チャップマンは発砲した際の心境をこう表現した。
 「何の感情もなかった。怒っていたわけでもない・・・頭の中がすごく静かだった」

 実際、ジョン・レノンを撃った後、チャップマンはじっと立ち尽くし、ペーパーバックの本、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に目を落としていた。
 ダコタハウスのドアマンがチャップマンに向かって、「おまえ、何をしたかわかっているのか?」 と叫ぶと、「ジョン・レノンを撃っただけさ」 と実に正確に答えた。
 
 イギリスの弁護士兼ジャーナリストのフェントン・ブレスラーは、チャップマンの平然としすぎている異様な口調から、彼を殺人命令を実行する洗脳された殺人者と考えた。
 
 チャップマンを逮捕し,詳しく取り調べたアーサー・オコーナー警部補は後に、「マークが有名になるために人殺しをしたというのは、明らかに筋が通っていない。彼は最初から記者には話をしたがらなかった・・・ただ、マークが誰かに利用されていた可能性はある。 私は事件当夜、彼に会っている。
 じっくり観察した。 まるでプログラミングされているようだった」 とブレスラーに話した。

 ブレスラーは世間に広まっているチャップマンに関する間違った情報をいくつか訂正している。

* チャップマンの名前が出ると今では「気のふれたファン」 というフレーズがいつもついて回るが、チャップマンの本当の”ロック・ヒーロー”はトッド・ラングレンだった。

* チャップマンは事件後何ヵ月も経ってから、「”ライ麦畑でつかまえて” の読者を増やすために有名になろうと思ってレノンを殺した」 と申し立てたものの、狙撃事件の直前までその小説に激しく入れ込んでいる素振りは一切見せていなかった。 (「ライ麦畑でつかまえて」はチャップマンの「プログラミング」を引き起こす道具として使われたのかも知れない、とブレスラーも推測している)

* 事件後、大手マスコミは、チャップマンが次第に自分とジョン・レノンを同一視するようになったという突飛な憶測記事を掲載した。 
 「ニューズウィーク」によれば、チャップマンはある時点でレノンという名に「改名」までしていたという。 確かにチャップマンは最後に務めていた職場を辞める時、「ジョン・レノン」とサインをしてからその名前を横線で消した。 だが、ブレスラーは違う解釈をしている。 つまりチャップマンは「俺はジョン・レノンだ」という意味で書いたのではなく、「ジョン・レノン、おまえを殺してやる」という意味だったのではないか、と。

* チャップマンは「人間嫌い」ではなかった。 彼はごく普通の社会生活を営む人間として人生の大半を送ってきたし、子供達と触れ合うことが特に多いキャンプの指導員もしていた。 などである。

 チャップマンはYMCAの海外プログラムへの参加申し込みをする際に、あえてベイルート(レバノン)を選んだ。 研究家の故メイ・ブラッセルは、CIAがベイルートに暗殺者を訓練するキャンプを持っていると主張していた。
 ブレスラーは、チャップマンがCIAと接触したのは国際的に広がるYMCAの保護の下においてであったと主張している。

 さて、チャップマン裁判の準備が進められ、仕事熱心な公選弁護人が被告を弁護するための証拠集めに時間を費やして半年が過ぎた時、殺人犯として起訴されている当の本人が、急に有罪を認める答弁に切り替える決意をした。
 弁護士は当惑し、動揺したが、チャップマンの決意は固かった。

 彼は脳細胞に話しかけてくる「かすかな男の声」の指令に基づいて行動しているそうだ。
 米国防総省(ペンタゴン)幹部のJ・F・シャピッツは1974年にこう述べている。
 「催眠術師の語る言葉を、変調された電磁エネルギーによって直接人間の頭脳の潜在意識の部分に伝達出来るようになるだろう。 即ち、メッセージの送受信に専門的な装置を一切使うことなく、(中略) 直接人間の脳で意識的な情報入力を制御する機会が持てるのだ」

 また、1976年のDIA(米国防情報局)レポートによれば、「パルス状のマイクロ波は、頭蓋の中から発せられると思われる音声、そして可能性としては、言語さえも伝達出来る」 という。
 チャップマンはそれを、「神の声」 と受け止めたのだろうか?・・・
#27  RFK暗殺
 1968年6月5日夜、若き上院議員ロバート・F・ケネディは、ロサンゼルスにあるアンバサダー・ホテルでカリフォルニア民主党の大統領予備選での勝利を祝っていた。
 他の候補者を引き離し、その夏シカゴで開かれる民主党大会で大統領候補者に指名されるのは確実と思われていた。
 
 スピーチを終えた後、RFKは演壇を離れ、人込みで溢れていた配膳室を通り抜けようとしていた時、浅黒い肌の若者サーハン・ビシャラ・サーハンが目の前に飛び出し、22口径のピストルを連射。
 倒れたRFKの後頭部から血が流れ出した。
 翌日、RFKは息を引き取った。
 
 サーハンは後に事件当時、一時的記憶喪失だったことが確認されている。 サーハンはこの夜、自分が何をしたのか、遂に思い出すことができなかった。
 単独犯とするにはあまりにも疑問の多い事件にもかかわらず、あっさり有罪となり、終身刑の身となった。
 
 警察当局の見解の重要な矛盾点を挙げて見ると、

* RFKの致命傷となった傷は、右耳の後ろの傷である。火薬による火傷は、10センチと離れてない至近距離から銃弾を受けたことを示していた。 サーハンはずっと前方にいた。 しかも至近距離とは言えない位置である。
 この事実一つ取っても、物理的にみてサーハンが単独犯だとは考えられない。 致命傷の位置を確認したトーマス・ノグチは当局から解雇され、後に訴訟を起こす羽目になった。

* 配膳室で発見された弾痕と銃弾から判断すると、少なくとも13発の弾が発射されたことになる。 サーハンのピストルは8発入りだった。 
 ロサンゼルス市警察(LAPD)は余分な弾痕のいくつかについて、「食料ワゴンがぶつかって出来たへこみ」だと説明。 さらに捜査員が調査、撮影した余分な弾痕の写真を隠蔽した。

* サンドラ・セラーノというケネディ支援の若い運動員と他数名が、水玉模様のワンピースを着た女が現場から逃げて行くのを目撃している。
 さらに女がはしゃいだ声で「あたし達が撃ったのよ」 と言ったのを聞いている。 セラーノは女に誰を撃ったのか尋ねると「ケネディ上院議員よ」 と答えながら走り去った。 
 またセラーノともう一人の目撃者トーマス・ディペローは、狙撃事件の前にサーハンが水玉模様の服を着た女と一緒にいるのを目撃したと供述した。(二人はLAPDの脅迫を織り交ぜた容赦ない圧力を受け、後に供述を撤回させられた)

 サーハンが発砲した時、RFKのすぐ右後ろに立っていた警備員セーン・ユージン・シーサーはその時、銃を抜いたことを認めたが、発砲は「公式には」認めていない。 
 だが、テッド・シャラックというジャーナリストの著したドキュメンタリー「第2の銃」 では、シーサー本人が、「俺は確かに発砲した・・(後略)」 と話すのを聞いたという友人の談話が紹介されている。

 シーサーは混乱の最中にクリップ式ネクタイを失くしていた。 床に倒れた瀕死のRFKの有名な写真には、何かをつかもうとしているケネディの右手からすぐの場所に、クリップ式ネクタイが落ちているのが写っている。

 また、アリ・アーマンドというパキスタン人がケネディのすぐ背後に立っているのを目撃されている。
 CIAから仕事を請け負っていたことがあるロバート・モローは、ニコン製のカメラのように装った銃でアーマンドが頭を撃ったかもしれないと考えている。
 CIA在勤中、モローはそのような武器を見た事があった。

 さて、肝心のサーハンだが、彼はケネディを撃ったことをまるで思い出せなかった。 自白したのは「証拠という証拠が」自分が暗殺したと言う事を証明していたからだ、と述べた。

 彼のアパートで奇妙なノートが発見されているが、書いたのは自分に違いないと同意しているものの、そのノートをつけたという記憶が彼にはない。 
 「RFKは死ななければならない」、「RFKは暗殺されなければならない」、「依頼への支払いを・・・」 といった殴り書きが記されてあった。

 サーハンを鑑定したバーナード・ダイアモンド医師は、サーハンに催眠をかけて尋問したところ、「実行せよ、実行せよ、実行せよ」 と書き記した。
 ダイアモンド医師が何を実行するのか、と尋ねると 「マインド・コントロール、マインド・コントロール、マインド・コントロール」 と殴り書きをした。

 サーハンの心理ストレス評価を測定した元陸軍情報部員はこう語っている。 
「PSEチャートのあらゆる要素が、暗殺に他の者が関与していること、そしてサーハンが催眠によってRFKを暗殺するようにプログラムされたことを示している」・・・

#26  MKウルトラ
 1963年、CIAの作戦副部長リチャード・ヘルムズ(後に長官も務める)は、CIA副長官あて覚書きの中にこう書いた。

 「我々は10年以上、人間の行動を操作し続ける任務についてきました。・・・人間の行動を左右する力を今後も維持し続けるとすれば、何も知らない人間を実験台にせざるを得ません」

 MKウルトラによる残虐行為のいくつかを取り上げてみると、ボストンのマサチューセッツ総合病院の医師達は少なくとも11名の終末期の癌患者にウラン235を注射した。

 1940年代には妊婦に放射性物質の混合物が投与され、胎児への影響が研究された。
 
 マサチューセッツ州ウォルサムのフェルナンド校では、17名の知的障害の生徒に放射能汚染された食事が与えられた。
 
 1962年には、アイビーリーグの研究者チームが精神遅滞の子供(最年少は1才程度の知能しかない)760名に対し、放射性ヨー化物を投与した。
 
 1944年から61年にかけて、ニューメキシコ州の全地域が野外実験によって金属元素のランタンを浴びた。

 1963年から76年にかけて、アメリカ北西部の刑務所で67名の囚人の睾丸にイオン化した放射能が照射された。
 アメリカ政府は、少なくとも33ヵ所の退役軍人病院で放射能実験を行っていた。

 1970年、心理学者のジェームス・U・マコーネルは「サイコロジー・トゥデイ」誌の中で、こう書いた。

 「私達は、薬物、催眠、褒美と懲罰の機敏な操作を知覚の欠損に組み合わせて使い、個人の行動をほぼ完全に制御できる時代に入っている。
 人間の行動と性格に劇的な変化を起こすことの出来る、極めて迅速かつ有効な積極的洗脳法を使うべきである。・・・私達は、社会から求められることを進んでしたくなるような訓練を、生まれた時から受けられる社会を構築すべきである。
 そのための技術はすでに揃っているのである。・・・例えば、犯罪者はそのまま更正施設に送られ,積極的洗脳を受ける・・・その人間の人格全てを作り変えなくてはならないときもあるだろう。・・・自分の性格を所有するものは一人もいなくなる・・・」
 
 また、行動主義心理学の学派の創始者であるジョン・B・ワトソンは、「私に一人の赤ん坊を与えよ。
 そうすれば、この子を木に登らせたり、両手を使って石や木の建物を作らせてみせよう。
 盗人、ガンマン、麻薬中毒者にもしてみせよう。
 いかなる方向づけをするにしても可能性はほぼ無限にある。(中略)
 人間は作られるのであって、生まれるのではない」

 言うまでもなく、これはSF小説の中の話ではなく、我々が現実に暮らしている世界の話である。
 初期の脳内移植実験で有名なホセ・デルガド博士は、
「人間は頭脳の直接の操作に対して全く無防備だ。
 生物学的反応の最も奥深いところのメカニズムを奪われるからだ。 私がやった実験では、適切な強度の電気的刺激は、常に人間の自由意志に打ち勝っていた」 という。

 彼が行った実験の一つには、成熟した雄牛にワイヤーを取り付けて、自ら開発したスティモシーバーという装置の準備が出来ると、デルガド博士は雄牛とともに設置されたリングに入った。
 雄牛は博士に向かって突進した。そして博士の目の前で突然立ち止まった。
 博士が手の中の小さな黒い箱のボタンを押しただけで、雄牛の動きが止められたのだ。
 
 デルガド博士は1966年に、「私のこの実験は、動作、感情、行動は電気的な力で制御可能であり、人間はロボットのようにボタン一つでコントロール出来るという不快な結論を裏付けるものだ」 と述べている。
 
 MKウルトラの悪名が高まったのは、LSDをアメリカに持ち込み、それによって1960年代のカウンターカルチャーを生んだためだった。が、それよりも狙いとして悪質だったのは、完全な被洗脳エージェントを作り出すことだった。

 問い返したりすることなく、あらゆる命令を受け入れる”完全に信頼のおけるエージェント”、それは例えば、命令一つで殺人を犯す人間ロボット、あるいは、政財界のVIPのための、マインドコントロールされたセックス奴隷などである・・・
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