目覚めよ!1億2千万の羊たち!!
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#43 ベトナム戦争
 1989年に、ビルマ(ミャンマー)の悪名高いクン・サー将軍(麻薬王)はビデオ・インタビューの中で、「ビルマで生産されたアヘンは全て(年間900トン)アメリカ政府が買い取ってくれている」と述べた。

 アメリカがベトナム戦争に関わった主な理由の一つは、どうやらラオス、タイ北部、そしてミャンマーを結ぶ”黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)”におけるアヘン貿易の支配・独占にあったようだ。

 軍事力において圧倒的に上回っていたアメリカは、数ヵ月のうちに勝利を収めるものと思われていた。だが、戦争に勝つことがアメリカ政府の目的ではなかったため、長期化・泥沼化することとなった。
 1960年代後半には、黄金の三角地帯は世界のアヘン生産の70%を占めた。
 
CIAは、自身が持つダミー航空会社エア・アメリカの小型飛行機やヘリコプターでこの地に入って行き、破壊されたり、治安が悪くなったりしていた輸送ルート(以前はコルシカ・マフィアとフランス情報機関が支配していた)を再開した。
 そして世界最大の麻薬工場の一つ(北ラオス)から、異なる三つのルートを経由して、ヘロインを当時の南ベトナム政府を通じてアメリカ軍のもとへ運んだという。

 5万7千人のアメリカ兵がジャングルで戦死している間に、CIAは世界最大の麻薬ディーラーとなった。その一方で、少なくとも15~30%のアメリカ兵がヘロイン(チャイナ・ホワイト)中毒になった。

 「ウォールストリート・ジャーナル」紙に掲載された記事でジョナサン・クイニー記者が、ヘロインがどのように戦死したアメリカ兵の遺体の中に隠されて、アメリカに運ばれたかを暴露している。
 兵士の遺体は切り開かれて、内臓を取り除かれ、時には一体につき50ポンド(約23キロ)ものヘロインが詰め込まれた。そうして遺体は、CIAのエア・アメリカによって、優先待遇でカリフォルニア州のノートン空軍基地に運ばれたのである。
 CIAはヘロイン加工の隠れ蓑として、ラオスに清涼飲料のブランド企業まで設立した。

 1973年、アメリカが”正式に”ベトナムから撤退した後も、カンボジア、ラオス、タイでは1980年代まで戦闘が続いていた。そして、現地には戦争捕虜(POW)が残されていた。

 その後、POWとその家族の熱心な支援者である保守派の億万長者ロス・ペローがこの問題に取り組み、面倒な状況を発見した。
 ジョージ・ブッシュ(父)との会話の中で、ペローはこう言った。
 「ジョージ、私は捕虜を探し始めているんだが、出て来るのは、アメリカ政府が世界を股にかけて麻薬取引を行っていることや、違法な武器売買に関わっているという話ばかりだ。不正を行っているアメリカ人がいるせいで、捕虜に手が届かないじゃないか」

 また、元グリーンベレーの作戦大佐ジェームズ・「ボー」・グリッツは、1991年に出した著書「徴兵」(ビデオ付)の中で、「政府がクン・サーが認めたような麻薬密輸を裏で行っていて、リチャード・アーミテージがその中心メンバーだとしたら、POW救出の努力が何度やっても不可解な失敗に終わったことも説明が付く。・・・それが本当なら、アーミテージがPOWの生還を望むことなど絶対にないはずだ」

 麻薬王クン・サー将軍はグリッツのビデオ・インタビューに応じ、一緒に仕事をしたアメリカ政府エージェントの名前を出すことに合意した。
 クン・サーによると、収穫アヘンの買い付け担当はリチャード・アーミテージで、フロリダ州のマフィアのボスとして悪名高いサントス・トラフィカンテとも仕事をしたそうだ。クン・サーが受け取った金は1トン当たり30万ドルだった。
 
グリッツは、当時のブッシュ(父)大統領に、ある話を持ちかけるが、ブッシュは聞こうともしなかった。アーミテージが麻薬や武器の密輸に関わっている説を裏付ける人物がバンコクのアメリカ大使館にいるという話だったのだが、その人物は当時の駐タイ大使モートン・エイブラモヴィッツによって解任されてしまった。言うまでもなく、ブッシュ自身も深く関わっているからである。
 
ちなみに、黄金の三角地帯でCIAと手を組んでいたのが、マフィアよりも強力な秘密結社と言われる中国の三合会であり、両者ともイルミナティの同意を得て動いているという・・・
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#42 湾岸戦争の爪痕
 アメリカ政府と軍部は、湾岸戦争において「安価な核兵器」と言われるDU(劣化ウラン弾)を使用した事実を、9年も経ってから公に認めた。イラクでは、その後DUの影響と思われる凄まじい後遺症(白血病、出産異常、先天障害など)が急激に増加している。
 
 また戦争終結後、ペンタゴンの高官達は議会で証言し、「紛争の全時期を通じて化学兵器もしくは生物兵器が使用された事を示す情報は一切存在しない」 と述べたにもかかわらず、1996年9月の聴聞会では「ある大隊がイラクの武器庫を爆破した時に、5,000名以上の将兵が化学兵器に晒された”かも知れない”」 と一転し、さらに1997年6月には将兵の数が「27,000名」に増えた。
 
 7月になるとペンタゴンは、「1991年3月にイラク南部のカミシアー弾薬補給庫を戦闘工兵が爆破した時に、飛散した神経ガスの流れて行った方向に、推定98,900名の将兵がいた」 ことを認めた。これは出征したアメリカ軍兵力の約7分の1に相当する。

 統計によれば、8万人以上の帰還兵が湾岸戦争症候群のために苦しんでおり、イギリスでも数千人がこれに罹っている。
 例えば、症状の一つとして複合化学物質過敏症がある。これは化学物質に過敏に反応し、頭痛、疲労感、呼吸困難感、不眠症などの複合症候が出る。
 しかも恐ろしいことに、これには伝染性があり、配偶者、子供、両親にも同じような症状が見られ、帰還兵の新生児には奇形が異様に多い。

 中でも、何千というイラク兵士の死体を処分した部隊の隊員に限ると、その大部分は死亡している。これは、殺戮されたイラク兵士が凄まじい細菌か放射能に汚染されていたであろうという事実を物語っている。

 また別の要因として、炭素菌の予防接種も挙げられる。現に、予防接種を受けていない多国籍軍のフランス兵に発病は見られないが、予防接種を受けた多くの米英兵士は湾岸戦争症候群を発病している。
 勿論、これについてペンタゴンはその存在すら否定し、マスコミも沈黙を保っていたが、2000年2月になって共和党議員が進めた委員会調査の結果、この予防接種のワクチンはまだ実験段階に過ぎず、人体に及ぼす影響については、注意深く監視する必要があるとの結論に達した。
 この事からもわかるように、自国の兵士さえモルモットに過ぎない,と言う事だ。
 
 つまり、湾岸戦争においてはABC(またはNBC)兵器(核兵器、生物兵器、化学兵器)が平然と投入されたという恐るべき事実に目を見張る必要がある。
 そして、殺戮は戦争終結後も続いた。英米(イルミナティ)はフセイン政権をあえて温存し、その「脅威」を利用してイラクに対する「経済封鎖」を始めた。
 また民間人を標的にした爆撃も、クリントン政権からブッシュ(子)政権になっても引き継がれた。

 調査報道ジャーナリストのジョン・ピルジャーがイラク北部で会った女性について書いているが、この女性は何もない所で羊の世話をしているところをアメリカ軍機に爆撃され、夫と子供と義父を失ったという。
 イラクの悪夢はまだまだ続く。1995年、アメリカのテレビ番組「シックスティ・ミニッツ」に出演したマデリン・オルブライト国務長官は、経済封鎖によってイラクですでに50万人の子供の命が失われていることを認めざるを得なくなった。勿論、これはその時点までの数字である。
 
 ジョージ・ワシントン大学のビジネス及びパブリック・マネジメント学部で講師を務める作家のトマス・J・ノジがDIA(米国防情報局)で発見した文書は、彼らの恐るべき人命軽視を明らかにするものだった。
 1991年1月22日付けのある文書には、次のように記載されている。
 「イラクは水を浄化するための設備や一部の化学物質を輸入に依存している。・・・水が安定供給出来なくなれば、その結果人口の大半は飲用水の不足に陥る。そこから疫病とまではいかなくとも、様々な疾病が増加するはずである・・・」
 ノジは「アメリカはイラク市民にどれほどの犠牲が出るかも、犠牲者の大半が子供になることも知っていて作戦(水道施設の破壊)を遂行した」と述べている。勿論これも、重大なジュネーヴ協定違反である。
 
 このイラクにおける大量虐殺も、2050年までに少なくとも40億人もの人口を削減するというグローバル・アジェンダのほんの一部分であることに我々は気付かなければならない。
#41 湾岸大虐殺(ガルフ・ジェノサイド)
 湾岸戦争においても様々な最新兵器が使用されたが、ついには直接精神に幻影を生み出すサイキック・ウェポンもすでに存在しているようだ。
 
 この「バトル・フィールド・サプライズ」と言われるものは、まずイラク軍の前線に対して、ミサイルや爆撃機による徹底的な攻撃が行われた。
 次に、低空を忍び寄るステルスヘリからELF(極低周波)音波が発射される。これによりイラク兵は方向感覚欠如、吐き気、内臓の痙攣などを引き起こし、戦意ならびに戦闘能力を喪失する。さらには、ヘリから発射された、思念と化した電磁波が作る幻影を見せられる。

 例えばそれは、目の前で味方が溶けたり、爆発したり、戦車が真っ二つになったり、天空いっぱいに出現したアラーの神の姿だったりした。これによってイラク兵達はいとも簡単に降伏することとなる。

 だが、撤退を開始し、クウェート国境を越えてバスラに向かっていた、イラク兵や同行した民間人達を待ち受けていたのは、「死のハイウェイ」であった。
 人間を乗せたこの大輸送団は延々11キロ以上にもなったが、アメリカ軍のパイロット達はその先頭と最後尾の輸送車を攻撃し、撤退する部隊を、身を隠す所もない道路上に立ち往生させておいて、組織的な爆撃を開始した。

 彼らは交代で空母へ帰還して武器を積み直し、また戻ってきては大量殺戮を続けた。
 ジュネーヴ協定に従い、白旗を掲げてイラクに戻ろうとしているのに、だ。あるパイロットは、「樽の中の魚を撃つようだった」と語っている。

 また、別の戦線では12,000人以上のイラク兵が、占領していた防空壕に生き埋めにされたという。勿論これも、重大な国際法違反である。

 またアメリカ軍は、無防備なイラク国民に対し、燃料気化爆弾を使用した。この爆弾は爆発が2度起こる。最初の爆発で燃料の細かい霧が空気中に広がり、サッカー場くらいの範囲が着火寸前の混合気状態になる。
 第2の爆発でこの混合気に火が付き、大爆発が起こる。爆発力は通常火薬の中では最大級だ。
 爆発によって起こる風圧は人間の耐えうる風圧の5倍近くにもなり、この急激な気圧上昇だけで、地域内の人間はほとんど死んでしまう。口から肺が飛び出すこともあるそうだ。

 他には、人間の体を挽肉にしてしまう程の衝撃波を作り出す「ビッグ・ブルー」、人間の腰の高さまで一度バウンドしてから爆発し、確実に周囲の人間を粉々にするという「バウンド爆弾」、8,800個もの鋭利な破片を四方八方に飛ばし、人間の身体をバターのように切り刻む「ハチの巣」などが女性や子供も含めた民間人に使われたという。もはや「同じ血の通った人間」のする事とは思えない。

 一方、イスラエルからの攻撃に備えるという名目でイラクに駐留する5,000人のロシア兵に危害が及ばないように、ロシア指導部はワシントンに何度も警告するが、ブッシュとベーカー(国務長官)はろくに対応しようとはしなかった。ロシアはそれにすばやく対応した。

 10晩以上連続して、イスラエルのテルアビブとハイファに通常弾頭装備のロシア製改良型スカッドミサイルが撃ち込まれ、イギリス、アメリカ、イスラエルは驚愕した。
 しかもNATOの兵器格付けで時代遅れであると見なされていたスカッドを、前評判の高かった「パトリオット」による迎撃ミサイル防衛システムが機能せず、一発のスカッドも撃墜出来なかったのだ。

 それに加えてペンタゴンが目を見張ったのは、SS12がダーラン(サウジアラビア)のアメリカ軍兵舎に撃ち込まれたが、これも迎撃できず、アメリカ軍兵士は死亡し、150名の負傷者が出たことだ。
 つまり、「パトリオット」は途方もない失敗作だった。

 1991年4月23日、AP通信は次の事実を確認した。
 スカッドとSS12ミサイルは、ロシアのロケット旅団が保有するロケットの中で最低レベルにランクされている。
 パトリオットはこの低性能ミサイルにさえ全く太刀打ち出来なかった。パトリオットが旧式の部品に頼っているという事実が貧弱な性能と関係があったのかも知れない・・・

 湾岸戦争中、CNNによって夜毎世界のテレビに放映された場面は、「撃墜」ではなくて、標的を外したパトリオットが限界速度を超えたあげくに自爆した姿だった。
 少なくとも56基のスカッドミサイルがイスラエルやサウジアラビアに命中した。
 ある若いアメリカ軍兵士が、スカッドミサイルだけで19発が自分の部隊に命中したと証言している。

 つまり、近い将来日本がご主人様から導入するであろうMDシステムは、金の無駄以外の何物でもない、と言う事だ・・・
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