目覚めよ!1億2千万の羊たち!!
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#41 湾岸大虐殺(ガルフ・ジェノサイド)
 湾岸戦争においても様々な最新兵器が使用されたが、ついには直接精神に幻影を生み出すサイキック・ウェポンもすでに存在しているようだ。
 
 この「バトル・フィールド・サプライズ」と言われるものは、まずイラク軍の前線に対して、ミサイルや爆撃機による徹底的な攻撃が行われた。
 次に、低空を忍び寄るステルスヘリからELF(極低周波)音波が発射される。これによりイラク兵は方向感覚欠如、吐き気、内臓の痙攣などを引き起こし、戦意ならびに戦闘能力を喪失する。さらには、ヘリから発射された、思念と化した電磁波が作る幻影を見せられる。

 例えばそれは、目の前で味方が溶けたり、爆発したり、戦車が真っ二つになったり、天空いっぱいに出現したアラーの神の姿だったりした。これによってイラク兵達はいとも簡単に降伏することとなる。

 だが、撤退を開始し、クウェート国境を越えてバスラに向かっていた、イラク兵や同行した民間人達を待ち受けていたのは、「死のハイウェイ」であった。
 人間を乗せたこの大輸送団は延々11キロ以上にもなったが、アメリカ軍のパイロット達はその先頭と最後尾の輸送車を攻撃し、撤退する部隊を、身を隠す所もない道路上に立ち往生させておいて、組織的な爆撃を開始した。

 彼らは交代で空母へ帰還して武器を積み直し、また戻ってきては大量殺戮を続けた。
 ジュネーヴ協定に従い、白旗を掲げてイラクに戻ろうとしているのに、だ。あるパイロットは、「樽の中の魚を撃つようだった」と語っている。

 また、別の戦線では12,000人以上のイラク兵が、占領していた防空壕に生き埋めにされたという。勿論これも、重大な国際法違反である。

 またアメリカ軍は、無防備なイラク国民に対し、燃料気化爆弾を使用した。この爆弾は爆発が2度起こる。最初の爆発で燃料の細かい霧が空気中に広がり、サッカー場くらいの範囲が着火寸前の混合気状態になる。
 第2の爆発でこの混合気に火が付き、大爆発が起こる。爆発力は通常火薬の中では最大級だ。
 爆発によって起こる風圧は人間の耐えうる風圧の5倍近くにもなり、この急激な気圧上昇だけで、地域内の人間はほとんど死んでしまう。口から肺が飛び出すこともあるそうだ。

 他には、人間の体を挽肉にしてしまう程の衝撃波を作り出す「ビッグ・ブルー」、人間の腰の高さまで一度バウンドしてから爆発し、確実に周囲の人間を粉々にするという「バウンド爆弾」、8,800個もの鋭利な破片を四方八方に飛ばし、人間の身体をバターのように切り刻む「ハチの巣」などが女性や子供も含めた民間人に使われたという。もはや「同じ血の通った人間」のする事とは思えない。

 一方、イスラエルからの攻撃に備えるという名目でイラクに駐留する5,000人のロシア兵に危害が及ばないように、ロシア指導部はワシントンに何度も警告するが、ブッシュとベーカー(国務長官)はろくに対応しようとはしなかった。ロシアはそれにすばやく対応した。

 10晩以上連続して、イスラエルのテルアビブとハイファに通常弾頭装備のロシア製改良型スカッドミサイルが撃ち込まれ、イギリス、アメリカ、イスラエルは驚愕した。
 しかもNATOの兵器格付けで時代遅れであると見なされていたスカッドを、前評判の高かった「パトリオット」による迎撃ミサイル防衛システムが機能せず、一発のスカッドも撃墜出来なかったのだ。

 それに加えてペンタゴンが目を見張ったのは、SS12がダーラン(サウジアラビア)のアメリカ軍兵舎に撃ち込まれたが、これも迎撃できず、アメリカ軍兵士は死亡し、150名の負傷者が出たことだ。
 つまり、「パトリオット」は途方もない失敗作だった。

 1991年4月23日、AP通信は次の事実を確認した。
 スカッドとSS12ミサイルは、ロシアのロケット旅団が保有するロケットの中で最低レベルにランクされている。
 パトリオットはこの低性能ミサイルにさえ全く太刀打ち出来なかった。パトリオットが旧式の部品に頼っているという事実が貧弱な性能と関係があったのかも知れない・・・

 湾岸戦争中、CNNによって夜毎世界のテレビに放映された場面は、「撃墜」ではなくて、標的を外したパトリオットが限界速度を超えたあげくに自爆した姿だった。
 少なくとも56基のスカッドミサイルがイスラエルやサウジアラビアに命中した。
 ある若いアメリカ軍兵士が、スカッドミサイルだけで19発が自分の部隊に命中したと証言している。

 つまり、近い将来日本がご主人様から導入するであろうMDシステムは、金の無駄以外の何物でもない、と言う事だ・・・
#40 湾岸戦争(ガルフ・ウォー)
 長年求めてきた中東油田の完全支配に向けて、最大の障害はフセイン大統領であると認識したイルミナティ、300人委員会は、彼らの誇るプロパガンダ・マシンであるタヴィストック研究所にフセイン弱体化の任務を与えた。

 タヴィストックは心理学者、世論調査屋、タヴィストックのプロファイラー多数から成るチームを編成した。ブッシュ大統領が対イラク戦争を推進する意図で行った演説は全て、タヴィストックに雇われた、あらゆる専門分野を網羅するチームのメンバーが書いたものだった。

 第1にやるべきことは、国民の心に、「イラクによるクウェート侵攻で脅かされているサウジ油田を守る必要性は極めて高い」という気持ちを確立することだった。
 NSAはニセの誤った情報を流し、サウジ油田がイラクの究極のターゲットだと思わせた。NSAのアドバイザーはブッシュ政権に、始めから湾岸戦争計画に沿って国民を説得しなければならない、と言った。

 決定事項は、ヒトラーとサダム・フセインは同じだというイメージを作ること、「サダム・フセインを止めなければならない」という言葉を繰り返し使うこと、そしてフセインがヒトラーのように振舞っているという印象を与えることだった。

 世論操作の一例として、クウェートの駐ワシントン大使の娘が上院委員会に現れ、クウェートの病院でイラク兵が保育器から赤ん坊を次々と取り出して床に投げ捨てた、と語った。
 勿論この女性は、大使の娘という身分を明かさなかった。後に、これは全て広告代理店ヒル・アンド・ノウルトンの仕組んだでっち上げだったことが判明した。

 また、国務省がクウェート大使館員のことを「人質」だと言い続けたが、実際は誰も投獄された者などなく、誰でもいつでも自由に国外へ出られたのだが、彼らはクウェートに留まるよう命令を受けていた。
 メディア評論家のマーティン・リーとノーマン・ソロモンは「現実を現実と認めないこと、これこそ、心理的政治的に戦争支持の世論を作るときの秘訣だ」と述べている。

 こういったメディア操作は、実際に戦争が始まってからも続いた。
 「テレビで放映された、いかにも表面的でファミコン的な戦争の映像は、ニセ物だった」国防省の元防衛担当ピエール・スプレイの議会での証言である。
 「あれは、ビデオテープを繋ぎ合わせ、臆面もなく統計を手直しして作り上げたものなのだ」ということだ。

 合同取材による報道は、アメリカ軍から受け取る「スマート爆弾」の映像ばかり流していた。
 この「トイレの窓にでも入れられる程正確な爆弾」は実際には、70%が目標を外していた(これは国防総省自身の数字だ)という。
 
 戦争突入後1週間で早くもバグダッドに潜入していたただ一人の西側記者であるCNNのピーター・アーネットは、多国籍軍の突然の爆撃によってイラク唯一のミルク工場が破壊され、この国の新生児は飢餓に晒されていると報道し、世界的な非難を浴びた。

 アメリカ軍はイラクの主張を鼻先であしらった。「あれは生物兵器の基地だった。我々はそう確信している」統合参謀本部議長コリン・パウエルの言葉である。
 ところがこの工場の建設を請け負ったフランス人と、工場を定期的に訪れていたニュージーランドの乳製品技師は、あれはイラクが言っている方が正しいと断言している。

 爆撃機の出撃は延べ12万回に及んだが、攻撃の大半は民間人の居住区域だったことが後で判明する。
 ブッシュ政権は3大ネットワーク(ABC,CBS,NBC)の全面協力を取りつけ、これらメディアはイラクで空中撮影された映像をネットワークで流すのを拒絶した。
 その映像は、民間人の居住区域が破壊される様子を映したものだった。

 NBCのマイケル・ガートナー社長にストップをかけられ、番組プロデューサー達はその映像をCBSに持ち込んだ。
 CBS「イヴニングニュース」の編集長トム・ベタッグは、翌日の放送で誰かに担当させると言った。しかしベタッグはその夜のうちに解雇され、映像は葬られた。

 これがテレビニュースの実態であり、新聞やテレビで世の中を分かっていると思っている方がもしまだいたら、いい加減に気づくべきだ。
 では、実際にイラクで何が起こっていたのだろうか?・・・
#39 湾岸危機(ガルフ・クライシス)
 「1989年秋、イラクのクウェート侵攻のわずか9ヶ月前、サダム・フセインが喉から手が出るほど武器購入資金を欲しがっていたこの時期に、ブッシュ大統領はバグダッドとのパイプを太くするよう指示し、1億ドルの新たな援助に道を開く極秘の国家安全保障部門の命令書に署名した」 と、ロサンゼルス・タイムス紙上で、マリー・ワースとダグラス・フランツ両記者は書いた。
 
 さらに、「1990年7月、イラクの軍隊がクウェート市内に押し寄せる1ヶ月前という瀬戸際の時期でも、国家安全保障評議会や国務省の高官達は1億ドルの貸付金の第2回目の支払いを急いでいた」と書いた。
 
 また、「オブザーバー」紙によれば、1990年の早い時期、ブッシュはサダム政権のトップの一人に密使を遣わした。密使は「イラクはみじめな経済状況から抜け出すため、石油価格を高めに操作すべきだ」と告げたという。
 サダムは密使のアドバイスを受け入れ、部隊をクウェートの国境まで移動させた。
 
 侵攻が始まった1990年8月2日のわずか1週間前、アメリカの駐バグダッド大使エイプリル・グラスピーはサダムに対し 「例えば貴国とクウェートとの国境紛争のようなアラブ諸国間の紛争には、何ら口を差し挟むものではない」 と念を押しさえしている。
 さらに彼女はサダム・フセインに、ベーカー国務長官から託されてきた 「この問題はアメリカとは関係がない」 との伝言を伝えた。
 
 グラスピー・フセイン会談(ゴーサイン会談)の数日後、つまりイラクのクウェート侵攻のわずか3日前、中東担当の国務次官ジョン・ケリーは議会で次のような質問を受けている。
 イラクの今回の軍事行動の件で、「将来アメリカ軍を派遣せざるを得ないような取り決めや約束は何もしてないと言えるのか?」 それに対し、「全くその通り」とケリーは証言した。

 ABCのトップ海外特派員ピエール・サリンジャーとフランスのジャーナリストであるエリック・ローランが書いた「秘密書類」によれば、クウェート侵攻は1990年7月下旬に開かれた和平会談で避けられたはずであると述べている。
 イラン・イラク戦争でかかった費用を補う10億ドルの借款要請にクウェートが応じていれば、イラクも収まっていただろうという。
 
 「かなりの議論が交わされた後、(クウェート)皇太子は9億ドルの借款に原則的に応じた」とサリンジャーとローランは報じている。
 「皇太子が残りの1億ドルを与えることを拒否したのは、意図的な侮辱だとイラク側は受け取った」
 これに対し、石油で潤ったサウジアラビアは、侵攻を防ぐため大丈夫だと割って入った。残りの1億はこちらで提供しようという申し出である。

 ところが、問題が解決したかに見えたまさにその時、クウェート皇太子は、 「両国の国境をはっきりと確定する必要がある」 と両国間の最もセンシティヴな問題を持ち出した。
 侵攻に先立つ交渉が難航している最中に、クウェートの外務大臣シェイクフ・サバーフはヨルダンのフセイン国王にこう言っている。
 「サダムが国境を越えてくるなら、来させようではないか。アメリカがつまみ出してくれるだろうから」

 イラク軍はクウェート侵攻後、クウェート外務省で奪った書類の中から、クウェートの役人とCIAの会談結果を記した1989年11月22日付けの次のようなメモを発見した。
 「我々は、イラクとの国境線問題でイラク政府に圧力をかけるには、イラクの経済状態悪化を利用することが大切だという点で、アメリカ側と合意した。CIAはうまく圧力として効力をかける手段を我々に示し・・・」
 当然CIAはこの書類をニセ物と決めつけたが、会談があったこと自体は認めている。
 
 ブッシュは危機の初期において策略家に徹し、アラブ諸国をお互いにいがみ合わせた。
ヨルダンに対してブッシュは、アメリカは48時間以内は何もするつもりはないと告げたかと思うと、エジプトに対しては国務省を通じて、侵攻について「はっきりとした立場」を採らないと、今後エジプトがアメリカをあてにしてもらっては困ると脅しをかけた。

 国連では、ブッシュはある国には金を投げ与え、ある国には脅しをかけて「合同戦線」を築いた。国連の議事を報道したあるラジオ局記者によると、「イエメン大使は、もしイエメンがアメリカ主導の”武力の行使”決議に躊躇した場合、それは”最も高くつく反対票”になるだろうと告げられた」 そうだ。

 こうして、湾岸戦争への準備が着々と進められていった・・・
#7  捏造される過去~ホロコースト「神話」
 第二次世界大戦後、日本の「ご主人様」であり続けているアメリカでは、すでにユダヤ問題は完全にタブーで、それに触れたものはマスメディアでは全てボツ、すぐに監視の目が光るようになり、盗聴は当たり前の事となっているようだ。

 日本 においても’95年、文藝春秋の月刊誌「マルコポーロ」誌が「ナチにガス室はなかった」という記事を掲載したところ、ロサンジェルスに本拠のあるユダヤ系人権擁護団体SWC(サイモン・ヴィーゼンタール・センター)が猛抗議、マルコポーロは結局廃刊に追い込まれた。
 
 その記事は、欧米で「ホロコースト」に関して疑問を抱く人が急速に増えているのに、日本では報道されないことに疑問を抱き、その内容を紹介したものだった。

 「ホロコースト」でユダヤ人600万人が殺されなかった事の証明として、
*当時のヨーロッパのユダヤ人全部を集めても400万人しかいなかった
*ガス室で使われたサイクロンBは殺虫剤で、10分間で人を殺すのは不可能
*ガス室はシラミ等が巣食う衣服を消毒するための部屋だった
 等である。
 
 マルコポーロが廃刊になったのは、SWCが圧力をかけて収入源の広告を差し止めてしまうからである。
 この事からもわかるように、日本においてもマスメディアにおいて「言論の自由」が存在するというのは幻想に過ぎないという事実が証明されたわけだ。

 傑出したドイツの編集者ヘルマン・アイヒ博士はその著書の中で、ドイツ人はヨーロッパの他のどの国民よりもずっと反ユダヤ色が少なかった、と述べている。
 だが大戦中、連合国の爆撃機が女性や子供といった一般市民を殺戮し始めると雰囲気は一変した。

 ヒトラーは、戦争が続く間全てのユダヤ人を収容所に拘束するよう命じた。
 その理由は、多くのユダヤ人がドイツの都市や居住区を破壊する爆撃機のための誘導信号灯を設置しているところが発見され、捕まったからである。

 これらの収容所で、ユダヤ人達はすぐに腸チフスで死にはじめた。
 それというのも、ユダヤ人自身が生活条件を清潔に維持することを拒否したためであった。

 収容所の役人達はすぐに、病気で死んだ何百という死体の処理に直面した。
 最終的に、焼却する以外に有効な対策がなかったため、急ごしらえの焼却炉が二つ使われた。
 その焼却炉は、1日にわずか6人の死体しか処理できないものだった。

 「リッチモンド・タイムズ・ディスパッチ」誌の編集者ヴァージニアス・ダブニーは、1963年3月9日付けの「土曜論評」にダハウ強制収容所の訪問記を書いている。

 「非常に驚くべきことに、ガス室は一度も運転された事がなかった。というのもガス室建設は戦争も後半になってからで、しかも被収容者達によるサボ タージュが成功したためである」
 ダブニーはまた、被収容者達は「チフスその他の病気で死ぬのは仕方なかった」と述べている。

 アウシュビッツにおいては、失われた「600万人」を世界に向かって宣伝するキャンペーンの一環としてガス室と焼却炉を展示しているが、それらは戦後の1946年にドイツ人の奴隷労働によって作られたものであった。
 
 戦前のドイツ在住ユダヤ人口30万人の中から600万人がナチスによって殺されたとされる、この大プロパガンダの背後にはしたたかな経済的理由があった。
 
 第二次大戦当時まだ存在していなかったイスラエル国家は、この代償としてドイツ国民に対し毎年8億ドルの10年に渡る賠償金を賦課したのである。
 
 「600万人説」は、それから現在に至る数十年の間に次第に数が修正され、最終的には「3万人程度」という説を唱える研究家もいる。
 
 2006年、イランのアフマディネジャド大統領は世界に向かって、ホロコーストを徹底的に検証しようと呼びかけている。
 勿論、イルミナティ、300人委員会の支配下にある欧米の指導者達は「何を今さらそんな事を」と応じようとはしない。
 そして日本の政財界やマスコミ、ジャーナリズムもご主人様の機嫌を損ねることなど、するはずがない。
 
 ホロコースト神話だけでなく、過去の大半の出来事は真実を歪められて大衆に伝えられている事に、我々は気付かねばならない。
 
#6  イスラム殲滅のための刺客~イスラエル
 アメリカにおけるフリーメーソンの超大物とされたアルバート・パイク(ワシントンDCには、彼の銅像が建てられているという)は1871年8月15日付けで、イタリアのグランド・オリエント・フリーメーソンの首領、ジュゼッペ・マッツイーニへ手紙を送った。
 
 このパイクの手紙は、ロンドンの大英博物館の図書館に短期間展示してあり、カナダ海軍の諜報担当士官、ウィリアム・ガイ・カーによって複写された。 
 パイクによれば、統一世界政府 はいくつかの「大革命」と3つの「世界大戦」によって達成されるだろう、と。
 
 「第一次世界大戦はロシアの皇帝(ロマノフ王朝)を倒し、ロシアを共産主義の砦とするための戦争。
 第二次世界大戦はナチズムが倒されて、強力な政治的シオニズム勢力がパレスティナにイスラエル国家を打ち立てる戦争。

 第三次世界大戦はイルミナティのエージェントによって引き起こされる政治的シオニズムと、イスラム世界の指導者の間の紛争を利用して誘発され、相互に破壊しあう形で行われるはずだ。
 一方、他の国々はこの問題に関して再度意見が食い違い、物理的にも精神的にも経済的にも極度の消耗状態になるまで戦わざるを得ないだろう。

 我々(フリーメーソン)は、ニヒリストと無心論者の鎖を解き放ち、社会の大変革を成し遂げる。
 この変革は、残虐行為と大部分の流血を伴う混乱の原因である完全な無神論の結末を恐怖の中、国民達にはっきりと示すであろう。
 
 そしてあらゆるところで市民達は、世界の少数派である革命家たちから自己防衛せざるを得なくなり、これらの文明の破壊者を殲滅するであろう。
 そして大衆の多くはキリスト教に幻滅し、その時点から大衆の神を求める精神はコンパスを失って方向を見失い、理想を切望するけれど、自分達の信仰をどこに向けていいかわからなくなる。

 そして最終的には、ルシファーの純粋な教理が公に教示される。大衆はこの教理の宇宙的な明示を通して、真の光を受け入れることになるだろう。
 キリスト教と無神論は同時に征服され破棄されるが、この破壊の後には反動主義者の運動が広くおこる。その結果としてルシファーの教理が明示されるわけだ」

 アルバート・パイクには未来を知る予知能力があったのだろうか?
 いや、これこそ見えない世界権力の長期的アジェンダ(行動計画)ではないか。

 ボルシェビキ革命により共産主義国家ソ連が誕生し、ナチス・ドイツ(と同盟していた日本 、イタリアの日独伊三国同盟)は倒され、1948年イスラエル国家は誕生した。
 
 イスラエル創設計画の最大のきっかけとなったのが、1917年11月6日に発せられた「バルフォア宣言」だった。
 当時のイギリス外務大臣アーサー・バルフォア卿は、イギリスがパレスティナへのユダヤ人国家建設を支持することを約束した。 だが、このバルフォア宣言なるものは議会においてなされたものではなく、バルフォア卿からライオネル・ウオルター・ロスチャイルド(二人とも300人委員会)への個人的書簡だったという。

 ちなみにバルフォア卿は「円卓会議」のメンバーでもあり、ライオネル・ウオルター・ロスチャイルドはそのスポンサーであった。
 
 イスラエル建国のために数々の残虐行為を行ってきたユダヤ人テロ組織(スポンサーはロスチャイルド)の一つシュテルン・ギャングは1944年、パレスティナをユダヤに与えるとのイギリスの決定を引き出すため、海外駐在の外交官モイネ卿をカイロの自宅で暗殺した。
 
 もう一つの組織イルグン・ツヴァイ・ロイミとともに残虐なテロ行為をその後も積み重ね、平和に暮らしていたアラブ人を追い出して、イスラエル国家は誕生した。
 そのテロリスト達、ベングリオン、シャミル、ベギン、ラビンらが、歴代のイスラエル首相である。
 
 公認の歴史では、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが行ったとされるいわゆる「ホロコースト」、600万人がガス室で殺されたという世論の同情心も大きな追い風となっただろう。

 だが、本 当にこれほどの大規模な虐殺があったのだろうか?
 次回は、「ホロコースト神話」を検証していきたい。
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